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ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者

オッペンハイマーは、「原爆の父」と呼ばれた悪しき科学者のシンボルとして登場します。
原爆は物理学が可能にしたことで、「物理学は罪を知った。これは物理学者が失うことのできない知識である」と当人は述べています。ただ、本書はこうも述べています。「原爆を生んだ母体は私たち人間でもある。そして、人間ほど同類に対して残酷非情であり得る動物はない。」と。

オッペンハイマーは、確かに原爆を生み出した科学者の一人です。しかし、彼が人間的にも「悪魔のような人物」であったかと問われれば、この本を読むと否定せざるを得ません。むしろ、多くの人々から慕われ、優秀で人格者としての側面も持っていたことがわかります。この本を通して感じるのは、優れた科学者を殺人兵器の開発に利用し、反抗すると簡単に追放する権力者の恐ろしさ、そして人間の未熟さです。権力者に利用されていることに気付かず、あるいは気付いていてもその甘い恩恵に満足し、結果として大きな代償を払うことになる。オッペンハイマー自身が晩年に「なぜなら、私が愚かだったからだ」と述べた言葉は、自らの未熟さや無知に対する反省の表れではないでしょうか。

本書の見どころ、ポイントを以下にまとめます。

ロバート・オッペンハイマーはドイツにあるユダヤ人の家庭に生まれる。
物理学とニューメキシコを愛し、友人のフランシス・ファーガスンもニューメキシコ出身であった。

精神科に通っていたことがあるが、医者に見切りをつけ、自分の精神状態を自己観察し、統御するといった離れ業をしていたこともある。

理論物理学者として成長をしていった。パウリという早熟の天才と呼ばれた学者に尊敬の念を抱き、多くのことを学んだ。その後、大学の助教授として勤務。彼のもとからは優秀な物理学者が輩出された。

オッペンハイマーが過ごした時代は、ヨーロッパではヒトラーの政権拡大が始まり、日本の中国侵略、また経済恐慌も広がっている時代であった。その後、ヒトラーがポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が始まった。

ユダヤ人迫害を避けて亡命したアインシュタインは、「アインシュタインの手紙」をルーズベルト宛に書いた。そこには、ナチスドイツが原子爆弾の開発に成功する可能性があることを警告し、アメリカも核研究を進めるべきだと提言する内容が書かれていた。これをきっかけにアメリカの原爆開発が発足されることになった。ヒトラーより先に原爆を持たねばという思想もあった。

オッペンハイマーは戦時研究への参加を望むようになっていった。「愛国心」によって行動する群衆の一部に過ぎない状況から始まった。

36歳でキャサリン・ペニング(キティー)と結婚。彼女は共産党に所属していた。

そんな中、アメリカ陸軍(軍人)のグローヴスマンハッタン計画の総責任者となる。視察をしている際にオッペンハイマーと出会う。そして、軍人に対する警戒心と敵意を示さないオッペンハイマーの様子に信頼と愛情を寄せるようになっていった。

ロスアラモス研究所が開所し、そこで広島に投下された「リトルボーイ」、長崎に投下された「ファットマン」が作られた。この研究所では6,000人が働いていた。多数の科学者たちの無視にも近い共同作業によって」大量殺人兵器が生み出された。

ロスアラモス研究所での様子を述べたファインマンの言葉「さし当たっての問題をうまくやりとげようと懸命に働いていると、それが楽しくなり、面白くて仕方がないことにもなる。そうなると考えるのをやめてしまう。そう、プッツリとやめてしまうのだ」

ロスアラモスでのオッペンハイマーの様子。誰よりも早く仕事場にあらわれ、人々が問題を抱えていると風のように姿をあらわした。誰もが自分の仕事のことを気にかけているように感じた。一方、彼自身のものと固定できる独自な技術的貢献は何もなかった。

トリニティの核爆発実験により、うまくいったことが分かった。この成功体験が広島、長崎への原爆投下へつながる。

オッペンハイマーはプルーデンス(慎重さ)を悪しき意味でしか使わなかった。かつての恋人(婚約者であった女性)、しかも共産党員の女性とアパートで一夜を過ごしたりもした。プルーデントな人間であったら絶対にしなかったことをしたりもした。

後半生は原子力の国際管理、水爆反対、軍縮に向けた戦いに挑んだ。しかし、政府公職からの追放をうけ、オッペンハイマー聴聞会が実施された。この聴聞会はオッペンハイマー裁判、異端審問とも呼ばれる。そこで、オッペンハイマーは「危険人物」であるとの判決をうける。性格に基本的な欠陥があるとの結果、政府の信頼に値しないと政治的生命に対する死刑宣告をうける。

GAC(一般諮問委員会)でのオッペンハイマーの人間像について、デュブリッジ(カリフォルニア工科大学の学長)はこう述べた「彼はグループの自然な、尊敬された、そしていつも愛された指導者であった」と。

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