本作もドン・キホーテが周りの人を巻き込みながら、想像を超える奇妙な行動を続ける。そして、従士としてドン・キホーテにお供をしているサンチョとの(迷?)コンビの確立が深まっていく。
ドン・キホーテは引き続き、騎士道物語の妄想に取り憑かれている。そして、旅籠の宿泊中には突然、眠りながら夢で巨人と戦うというようなあり得ない行動に出る。(本人は眠っているため自覚はないのだろうが)ただ本人が夢を見ているだけならよいのだが、旅籠にある葡萄酒の革袋に襲い掛かり、部屋中を葡萄酒の海にしてしまう始末。。。
上記以外にも大砲のことを、悪魔がかった火器として恐るべき狂暴性を持っていると熱弁し、騎士とは違い大砲を発明した者を卑劣な臆病者であると罵る。また、金だらいを兜だと言い張り、サンチョ以外の皆を呆れさせる。そんな場面も登場する。
一方、肝心な場面で助けてほしいと懇願された際には、「騎士たる拙者は従士ふぜいを相手に剣を抜くことが掟によって禁じられている」と言い放ち、都合が悪い時には怖気づいて逃げるとような機転が利いているシーンも。
作中にはドン・キホーテやサンチョの迷コンビぶりが放つ笑えるストーリーだけではなく、キリスト教とイスラム教の対立なども描かれている。これは時代背景を表したものであろう。
また、参事会員が話をする場面では騎士道物語を含めた観劇などの様々な作品について、読者や観客に対する思慮分別のなさを嘆くようなシーンもある。この時代においても良作と観衆にうける作品は異なるのではという示唆を与えるようなメッセージも登場する。
終盤では、ドン・キホーテのふるまいを見た参事会員が騎士道物語のような有象無象の途方もないことを本当にあったことだと思い込むことが信じられないとドン・キホーテに言い放つ。それに対するドン・キホーテの反論は「理性を失い、魔法にかかっているのはあなた」だと反論する。
一般人からは思慮分別をなくしたと見えるドン・キホーテも、思い込みではあるが、勇気を獲得し、サンチョと散々な目に会いながらも冒険ができている。一方、まともに見える生活をしている方は毎日を無難に安全に過ごす。人々の記憶に残るのはどちらであろうか。また、現代でも冒険家であったり、何かを成し遂げる人は一般の人から見たら、あの人は分別をなくしたクレイジーな人と思われていることもあるだろう。そんなことを考えると、ドン・キホーテの生き様をただ単に気がふれたおかしな人で終わらせるのはいかがなものだろうか。


コメント